ポンデュガールを訪ねた時、日本人の方と出会い、その日をご一緒させて頂いた。
大学教授の方で、僕の前職の上司とは留学時代の仲間だったことがわかり、世間はせまいとはこのことだ。
彼は、高校を卒業した後、グルー基金からの奨学金でブラウン大学に、そしてそのままコーネル大学で博士課程を修め、ポスドクでもアメリカに残ったという経歴。50過ぎの方の経歴としてはとてもめずらしいと思う。
ブラウン大学に進む時には、高校の校長先生も両親もみんな東京大学に行くことを勧めたみたいだ。そして、日本に戻ってきた時には、コーネル大学博士課程の終了が、「日本の大学で博士課程を終了している」とう条件の代替になるか10ヶ月もかかったとのことだ。そんな時代があったのかと驚きを隠せなかった。
そんな時代の中、ポスドクまでの10年以上を自分の力で切り開いてきた、その先生からの言葉はシンプルで重みがある。
日本人の留学生は少なくなっていると思うし、自分が5年程度留学して腕をみがいてきなさいとポスドクの生徒を送り出しても、みんな2年間で帰ってくるらしい。
僕は英語もフランス語も喋れないし、問題は山積みだろう。それでも挑戦せずにはいられないし、いつかのチャンスのために一生懸命準備をし続けたいと思う。要は諦めないで頑張ることだと信じて。
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